内容紹介
人は何故、子供を育てるのでしょう。自分のためでしょうか?
「自分の血を分けた分身とも言えるわが子を世に送り出したい」
いえもっと成熟した利己主義で、
「愛情の対象として自分の愛を注ぎ、かわいがりたいから」
「自分が親として育てる喜びを味わい、人間的に成長したいから」
このような立派な心掛けの方もいるでしょう。
また愛する人がいるなら最愛の彼のため、という人もいるでしょう。
「愛する人の分身を育てたい」
という素朴な欲求、大変よくわかります。
「縁あって結ばれた二人の愛の結晶である子供をこの世に残したい」
「愛した人との人生を充実させるため、育児という共同作業を二人でやってみたい」
このくらい愛し合った二人から生まれる子供はさぞや幸せなことでしょう。
これほど熱烈でなくとも、結婚したからには人並みに、周囲の期待に応えて、親にならなければという消極派や世間順応派もいるかもしれません。
もっと常識追従型、少々、古い考えかもしれませんが、お家の跡取りのため?
昔、結婚が家同士の結び付きである頃は、血筋を絶やさず、家督を譲る跡取りを産み育てることが嫁の務めでした。
「三年経って、子無きは去れ」と言われたくらい、世継ぎである男子を生むことは妻の重要な任務でした。ですから、由緒ある家では正室の他に側室をおいて子供を沢山生ませたのです。しかし、今はほとんどそんなことはありません。
しかし、このような家柄でなくとも、親となり自分の血筋・家の伝統・財産・家業を伝える子孫を残すことは、それなりに個人としての人生の満足感を得られるものなのでしょう。
鳥が巣を作るように、家族が雨露を凌ぐ家を作り、親鳥が餌を運ぶように、生活の糧となる仕事に精を出し賃金を稼ぎ、少しでも家族に豊かな暮らしをさせ、教育を受けさせるために頑張るのは何故なのでしょう。
職場で昇進し、企業を発展させ、新しい技術を開発して少しでも立派な仕事を残そうとするのは? また田畑を耕し、植林して森を造り、ダムをつくり、近代的都市を計画するのは?
これらすべては現在のためというより、子孫のため、次の世に少しでも良い生活を、環境を残したいためではないでしょうか。
逆説的に言えば、次の世代に託すために、人は社会文化を繁栄させ維持させているといっても過言ではありません。
このように生殖と子育てについては社会・文化・国家のマクロのレベルから個人の潜在的に自分の血を残すというレベルまで、深さも幅も様々な解釈が可能なのです。
特に自分の分身をこの世に残したいという、個体から種族繁栄という動物的な本能にいたる欲求は何十万年もの長き間、人類の遺伝子の中に組み込まれ続けた、想像以上に根強いものなのでしょう。
というわけで、子育ての価値観は個人、動物的本能から家・民族・国家・社会までのミクロからマクロの価値意識がなぜか混然一体となり、混沌として融合してしまう性質があります。そこが子育てがイデオロギーや国策に搦めとられやすく、またフェミニズムやファッションのように、時代のファナティックな論争テーマになりやすい特徴でもあるようです。そしてそれがもっとも端的に表れるのが家族政策でしょう。家族政策にはその国の社会保障制度・教育・住宅制度などの他、家族法など民法・労働政策も含まれ限りなく広がります。またその国の風俗・習慣・歴史・文化すべてが反映する膨大、広範、かつ茫漠たるものになるのです。
日本では家族政策として統一整備されたものはありません。ここでは「家族政策と法」の中で福島正夫のいう
「家族政策とは家庭の変容に大きく左右され、時代の変化とともに政策も変化していかねばならない」、また
「家族政策とは国家の中堅家庭の機能を強化し、家族の結束を強め、家庭の福祉に貢献するものでなければならない」
の二つの言葉を引用したいと思います。この二つの言葉の中に、家族政策の意義と目的がまさに凝縮されていると思うからです。
一方、欧州先進国では家族政策が国家政策として、また人口政策として歴史的に根付いて来ました。しかし、現代の家族政策は出産奨励の人口政策としてより、むしろ女性の就労支援、子育て世帯への社会的公正と平等という社会保障の基本理念としてとらえられています。つまり出生率アップなどの効果を目的とするより、子供を育てようとする家族に対して好意的社会実現への態度表明でもあります。その意味で、育児家庭への現金給付はあって当然と考えられています。
そこで日本と同様、高齢化と少子化問題に直面している現在でも、出生率減少に過敏に反応することなく、人口問題より労働問題として育児休業充実など女性の働き易い環境整備に努め、社会や家庭内での実質的男女平等を実現しているのです。
この本では家族政策から紐解いて、最も身近な家族政策である保育・育児の領域に限定してみました。家庭と母性の歴史、人口政策という国の制度政策と保育の関係、世界の保育の状況、日本の保育制度などごく大ざっぱですが概観して、家庭と育児と社会の関係を考え直す新たな視点を提供してみたいと思います。
保育提供者、保育アカデミズムと言われる保育学識者でもなく、実際に利用した当事者でもない立場で、いわば措置保育制度の枠外から一般人の感覚で保育というものを白紙で見直して見ました。
働いていない一般の母親、働いていても保育園を利用していない母親、またはできなかった母親など、数としてはかなり多数です。ところが、問題が無きが故、保育や児童福祉の議論であまり浮上せず、意見表明のチャンスのなかった層の声を意識的に代弁してみたいのです。
社会の公的な恩恵をあまり受けなくとも、自立自助で子育てを担ってきた、言わばサイレント・マジョリテイの立場に特に注目してみました。
戦後50年、経済・政治・社会保障などあらゆる分野で様々な制度疲労が言われ、少子化と高齢化社会という厳しい状況もあいまって、ドラスティックな構造改革が迫られています。その中でも高齢者福祉と老人の社会的扶養は介護保険と医療改革・所得保障の年金改革などが重要な課題になっています。しかし発想を転換すれば、それらの将来基盤を支える未来の世代・児童の社会的扶養・少子対策こそ緊急課題とも言えるでしょう。
そこで、皆さんと共に育児と保育を取り巻く環境を概観し、育児全体の社会化の可能性を探って、子育てに意欲的な若い世代を支援できる社会を考えたいと思います。つまり家庭中心を基本に据えた経済的支援と個人選択による多様な保育です。具体的には、子育ての負担に報いる児童手当と家族給付、そして一般家庭にも開放された自由選択の保育です。 (「プロローグ」 より)
目次
書籍情報
著者: 鈴木 真理子
定価: 1,600円(本体価格)
発行: 1997年7月22日
体裁: A5判 216頁
出版社:株式会社スクリーンプレイ
ISBN978-4-89407-164-3